髙島屋

1831年、京都市で飯田新七が古着・木綿商を開き、義父の飯田儀兵衛の出身地である近江国高島郡(現・高島市)から髙島屋と名付けた。明治期の半ばから貿易業に参入し、1919年には、株式会社髙島屋呉服店として当時の目抜き通りであった堺筋の大阪市・長堀橋に長堀店を構える。大阪市によって御堂筋が大阪のメインストリートとして整備されるのに合わせて1932年には、南海難波駅の駅ビルである南海ビルディングのメインテナント(ターミナルデパート)として南海店を開店させた(後に長堀店を閉店し、南海店に統合して大阪店に改称)。翌年1933年には、東京・日本橋に日本橋店を開店。戦後に入ると、相模鉄道(相鉄)と合弁し、横浜駅西口の駅ビル・相鉄ジョイナスのキーテナントとして横浜髙島屋を開店させた。1969年に二子玉川に玉川髙島屋SCを構え、日本初となる本格的な郊外型ショッピングセンターであった。

バラの花をイメージフラワーとして採用しており、紙袋や包装紙などに用いられる[注釈 1]。

2019年度において、大阪店、日本橋店、横浜店、ジェイアール名古屋タカシマヤの売上高は1000億円を超える。1000億円超えの店舗数では大手百貨店グループの中で最も多く、大型店が多いのが特徴である。ジェイアール名古屋タカシマヤは2000年開店と比較的新しい店舗ではあるが、巨大ターミナル駅の名古屋駅直結という高い利便性から、名古屋の地域一番店を獲得。現在では全国の百貨店の店舗別売上高において第4位にまで成長し、高島屋の店舗の中で最も売上高が大きい。大阪市に本店を置き、関西を地盤とする大手百貨店であるが、大阪店以外にも関東では日本橋店や横浜店、中京圏ではジェイアール名古屋タカシマヤなど高い売上高を誇る店舗を全国に複数持つため、関西に留まらず全国的に高い知名度を誇る。

近年は中国の大手旅行会社と提携して大阪店を中心にインバウンド需要を取り込んだり、近年百貨店業界で主流になりつつある百貨店内におけるショッピングセンター化を行ったりして[5]、従来の百貨店のあり方を見直している。

同社は、関係の深い地方百貨店と提携しているハイランドグループという百貨店共同体の中核企業である。ただし、グループ各社との間では、業務提携関係は有するものの、資本関係を持つものではない。なお、髙島屋自身は、三水会・みどり会(三和グループ)の会員企業だが、ハイランドグループ自体は、三和グループとは別である。

百貨店業界において、J.フロントリテイリング(大丸・松坂屋)や三越伊勢丹ホールディングス、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急阪神百貨店)の発足といった再編が進む中、同社は、独立系百貨店である。2008年10月に、関西を基盤とする電鉄系百貨店の阪急百貨店・阪神百貨店を傘下に持つエイチ・ツー・オー リテイリングとの間で資本・業務提携をした。その際、2011年4月を目処に経営統合まで行う予定であったが、2010年3月25日に、経営統合を撤回して業務提携にとどめることを正式発表した。

大手百貨店グループの中では三越伊勢丹HD (1兆2,872億円)、J.フロント リテイリング(1兆1,635億円)に次ぐ日本3位の売上げを誇り、独立系百貨店としては最大である。

高島武彦 豊島区

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